ゆくえ(羽田空港)

悲しいとき、心がぽっかりするとき、羽田空港に私は立っている。その悲しみを忘れるためのように、はたまた、悲しみを深めるために。どこかへ行って、どこかへ帰っていく、ここではないどこか。羽田空港は銀色に光っていて、つめたいにおいがする。かつて好きだった人に、Twitterのダイレクトメッセージで「おじいちゃんが死にました、悲しいけれど、おなかは空くので、崎陽軒シウマイ弁当を食べています。」と送った。崎陽軒シウマイ弁当は、悲しくて何も食べたくないときに食べる。つめたくて、そっけない味がして、良いのだ。一つ一つ食べるごとに、悲しみを食べていく感覚だ。

羽田空港に行く前の土曜日、横浜駅で、血をだらだら垂らして、泣くでも喚くでもなく、冷静に、血が止まらないなあ、と思っていた。自分でしたことなのに、血が赤いことにどうも納得がいかない。透明な血ならばいいのにな。私の左腕を見た彼は電話を切って、目をまあるくした。じっと、傷ついた腕を見つめて、何か声をかけられた。もう見放してください、知らないふりをして帰ってください、兄に連絡してください、と言う私に対して、どうにか一緒にいる方法を模索してくれた。どんどん抜けていく血、体はふらふらで、お気に入りの大島智子さんのハンカチがどんどん赤色に染まっていったことが何より悲しかった。土曜日の夜、ビジネスホテルはどこもいっぱいで、なかなか見つからない。このまま夜道を散歩してもいい、と言っていた横顔が好きだなと思った。離されない右手。つい数時間前まで、居酒屋で飲んで、カラオケに行って、楽しかったのに、どうして今、私は血だらけなんだろう。一緒に歌ったあの曲、上手に歌っていたあの曲、忘れられないんだろう。

数軒電話をして、ようやくホテルが見つかった。私の不安定な行動に、対応する人はさまざまな方法を取り、話しかけてくれる。みんな、今、どうしたら私が落ち着くのかっていうところに観点を置くのだけれど、彼だけは違っていて、未来を見てくれていた。自分が一番大事だから、と言っていたが、そんな人がここまでしてくれるわけがない。話していたら、薬が聞いてきて、すこん、と眠った。朝起きたら、彼が隣でゲームをしていた。帰ろう、と言われて、遠い私の家まで送ってくれた。やさしさっていうものをめいいっぱい噛み締めて、左腕の傷を眺めた。

倒れるように日曜日は眠った。何も考えたくなかったし、明日大分へ行くのかと思うと、体が行けないよと叫んでいた。しかしこのままこの狭い部屋で、小さな東京で、息をするのは、それもそれでしんどいことだ。母に、行けないかも、と連絡をし、荷造りなどもせず、夜になってそのまま寝た。

お昼前に目が覚めた。ワンピースを着て、ワンピースを二着、旅行カバンに詰めた。身一つで行くかも、と言ってたのに、結構な荷物になった。メルカリで届いたばかりの薄手のコートを羽織る。空港まで車で送るよ、と言ってくれた人のお言葉に甘えて、家まで迎えに来てもらう。ほとんど喋ることもできずに、ゆらゆら車に乗っていた。立っているのが、やっとだった。

お母さんのいる大分へ行くのは、先週東京へ飛んできた母親との約束だった。どうしても先週は予定があって帰りたくなかった。何を言われても、私の生きている根幹に、音楽や映画、本や演劇があるから、家族よりもそちらを優先してしまう。だめだなあと分かってはいるのだけれど。

お母さんに買っていくお土産は、白いチーズケーキだと決めていた。お土産を選ぶのが好きすぎて、飛行機に乗り遅れるほどだった。羽田空港は好きだ。好きなお菓子や目新しいお菓子がたくさんあって、どれを誰に食べてもらうか、考える時間も好きだ。けれど今回はそんな余裕もなく、母に一つだけお土産を買って、あとは空港でぼうっとしていた。

ゲートを通り、搭乗口までの道のりに、伊勢丹があって、思わず入る。お母さんにはミナペルホネンのタオルを買っていたけれど、何か他にもないかなと思ってしまう。結局、メンズしかないと店員さんに告げられ、伊勢丹はすぐに出た。

そういえば何も食べてなかった。甘いもの、チョコレートならば、入りそうだと思った。スタバがあったので、いつも頼むダークモカフラペチーノを選ぶ。兄が飛行機の手配をしてくれたので、ANAの飛行機だった。LCCばかりの私にとってはいい飛行機だった。

羽田空港にいると、ほとんど一人のシーンばかり思い返す。人って、一人で生きていけないって言うけれど、結局のところ、みな一人なのだ。悲しみは誰かに分けることが本当の意味ではできないと思う。悲しみを受け入れるのは、この私しかいないのだ。

飛び立った飛行機から、雲を眺める。白の世界、悲しみよ消えていけと、願ったけれど、本当のことは、私しか知らない。

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