i(ハワイ)
「新入社員の君たち全員で、社員旅行、ハワイに行ってきなさい!」
副社長が笑顔で言ったそのとき、真っ先に、どうしたら休めるのか、どうしたら行かないで済むのか、頭をフル回転させたのは私だけだっただろう。歓声があちこちで上がるなかで、そのイベントにがっかりしたのは私だけだっただろう。
頑固で真面目(よく言われることで自覚もしている)、それに加えてお姫様気質(これは最近ハマっている占いで二度も言われた。天性の貴族らしい。)のわたしは、アパレルのおしゃれな同期たちに馴染むことは不可能だった。「お写真撮ってない人〜」と研修で言ったとき、くすくす言われたことをまだ根に持っているというか、すごく覚えている(別にいいじゃん!と腹が立った!)。結局、同期の飲み会には一度も行かず退職した。それでも退職するころには、同期たちがすごく光っていて、眩しくて、素晴らしいということにも気が付いた。
しかし社員旅行を突きつけられたのは、入社して半年足らずのころだった。当時、入社した会社が何周年だか記念の年だったため、全社員、社員旅行に行っていた。近いところで金沢、沖縄、台湾、そしてみんなが一番行きたがったのがハワイだった。社員は好きな人と好きな旅先を選べる、というシステムだったのだが、新入社員にいい思いをさせようと、全員ハワイだった。愕然とした。ハワイに行きたいなんて、芸能人やキラキラしている人やミーハーな人だとばかり思っていたから、行きたくない、という思いだけ募った。
入社当時から気の合うメンバーは5人ほどだった。そのうちの一人のわたちゃんと仲良くしていて、どうしたら二人でみんなと別の場所に行けるか考えた。上司に聞こうかと思ったが、失礼な気がして聞けなかった。そうしてずるずると出発日になった。
トランクも新しく買わないといけなかった。すべてにわくわくしない荷造りだった。真新しいトランクのなかには、ハワイに行くとは思えない荷物が詰まっていた。お気に入りの花柄のワンピース。親友がくれたワンワンのぬいぐるみ。本が5冊。詩集がいくつかと、小説がいくつかだったと思う。その小説は、ハワイで読了しようと、なんとなく本屋で手にとった西加奈子の『i』。飛行機の中や精神が乱れた時に読もうと全部単行本で、かなり重かった。
いつもの5人ほどのメンバーでかたまり、写真なども撮った。飛行機は怖くて大変だった。気がつけばハワイについていた。
むわん、とした、暑い風を感じたのが、最初のハワイの印象だった。12月なのに、真夏だった。バスに乗り込み、目的地に行った。(土地勘がないので、ハワイのどこに行ったのか、まったく覚えていない。)となりで、同郷のゆりが、すやすやと寝ていて写真を撮った。チェキを持ってきていて、写真はたくさん撮りたいな、と思っていた。仲のいい同期が、このあと辞めることを知っていたから、もう、みんなでハワイにくることも、ないだろうなと、すこし感傷的になっていた。
ハワイのホテルに着いた。わたしたちの部屋は32階で、プールや海が見える。なんて最高なんだ!と思った。ここで、このベランダの椅子に腰掛けて、本を読めば、そんな最高なことはない…とわなわな興奮した。少しずつ、身体がハワイの風に、満たされていた。
三日間ほど、ハワイで過ごすことになるのだが、ハワイのどこどこに行った、とか、そんなことは全然覚えていない。わたちゃんと自転車で美術館をふたつ巡ったこと。ケイスケカンダの服を着て、全力で自転車を漕いだ。外人に車から話しかけられて、美術館はとても美しかったのだが、どこかの民族のところだけすごく怖い、と、冷たさを思ったこと。帰り道がわからなくてパニックになり泣いたこと。
初日に一瞬、海に入ったこと。たぶん10分も入っていない。水着は持ってきていなくて、服で入った。夕方が近かったので寒くてすぐにホテルに戻ったこと。
どこに行っても、ワンワンのぬいぐるみといっしょだったこと。
文房具屋さんでたくさんの文房具を買ったこと。
夜、みんなで遊んだこと。けんかしたこと。
朝日を見に行ったこと。嬉しくて、美しくて、ハルさんに電話したこと。
アサイーボウルを食べたこと。
『i』をハワイで読み切ったこと。とても、とても、良い小説だったこと。
ハワイに行ってよかったと思えたこと。
あんなに行きたくなかった土地。文化がないと思っていた場所。
たくさんの歴史があって、たくさんの人が楽しそうで、まったくの偏見で生きていた。実際に来てみないとわからないことがあった。
最初で最後の、この会社での、社員旅行だった。
2016年の12月の思い出だ。あれから5年経って、仲の良かったメンバーのほとんどが、この会社を辞めた。もう、二度と、集まることはないだろう。
2017年1月、師匠と新宿で会った。12月、ハワイで読んだ西加奈子の『i』について話したかった。
「わたし、12月に、ハワイに行ったんです。」
「えっ、わたしも行ったのよ!」
二人して、二人ともが、縁もゆかりもなさそうな、ハワイに行っていた。
「ハワイには文化がないって頑固として思ってたの。でも、行ったら楽しくて、なにも、しなかったの。」
師匠の言った言葉、私の思ったこと。どこでも通じている、わたしたち。
『i』を読んだことを告げたら、師匠も、西加奈子の小説を持って行って読んでいたという。そんな奇跡が、起こる。
ーいつか、この日々のこと、なつかしいとか、思うのだろうか
「きのうのこと、おぼえてる?」