繭(東中野)

繭のなかにいるみたい。

 

大切な漫画『cocoon』(今日マチ子)の中に出てくる台詞だ。

東中野に住んでいたとき、まるで、繭の中にいるみたいだった。

 

いくつかの出来事が重なって、わたしは荻窪の家になかなか、というか、ほとんど帰ることができなくなった。それどころか、まともに生活することもできなかった。泣いて、震えて、どうしようもなくて。それを救ってくれた人が二人いる。どちらも、私の人生で、大切な人。でも、もう二度と、会えない人。

家に帰っても、私は何もできなかった。着替えることはもちろん、ごはんを作ることも食べることもままならず、ベッドで泣くか、泣かないでぼうっとすることしかできなかった。体操座りのまま、何処へも行けず、何もできなかった。スーパーやコンビニに行っても、何を買えばいいのかわからなくなって、とにかくカゴにいっぱい入れて、散財した。今より買い物もひどかった。何が自分を支えているのか、大好きだった映画すら、見れなくなっていた。

それが病気だということに先に気がついたのは、彼だった。学生時代からお付き合いをしていて、一度別れた彼だった。春に、やっぱり戻りたい、と連絡があった。私はそれどころじゃなく、「ごめん、今、こんなことがあって。すぐに戻ることは絶対にできない。」とかそんなことを彼に言った。彼は、私のぐちゃぐちゃな事情を聞いてもそばにずっといてくれ、支えてくれた。そして、私がぼろぼろなことに、一番最初に気がついてくれた。まずは家だ、そう言って、あたらしい物件を見に行った。場所は、東中野

一軒家みたいなその家は、階段を登れば広い部屋があって、二つの空間がある。駅からも10分以内で近い。日当たりもよくて、ベランダも広い。奥の空間は屋根の形ですこし狭くて、それも心地よかった。一件目だったので、他も見ます、と言って、お腹が空いた私と彼は、駅の近くの韓国料理屋へ行った。

冷麺か何かを食べた。そして彼が言った。

「家も、ご飯も、何もかも、いずみちゃんのために用意する。付き合うとか付き合わないとか、今は、考えなくていい。だから、一緒に住もう?」

ぽたぽた、本当に、それはぽたぽた落ちる涙で、冷麺を食べる手は止まっていた。ただ、頷くことしかできなかった。私はただ、泣いた。

それから、すぐに一軒家のような、その家を契約した。中野駅の近くの不動産だった。一緒に住むのに、婚約者、と書かないと審査が通りづらいから、と、私の名前の横には、婚約者、と書かれた。ぼうっとそれを眺めることしかできなかった。帰り道に、友人にあげる花束を買った。

家の初期費用も、私の引越しの準備も、私の引越し代も、新しい家の家具も、全部彼が用意してくれた。わたしはベッドで寝ているか、IKEAに行くまでの道すがら、自分みたいな細い枝をぶんぶん振り回すか、わがままを言ってたくさんの家具を選ぶか、そんなことしかしなかった。IKEAで「いずみちゃん、これ、可愛くない?」と言われたのは、天蓋だった。白の、ふわふわしたものだった。うーん、どうかな。ベッドの上に飾ったら可愛いよ。買おう。とカゴに入れられた。帰宅して、天蓋をつけた。ああ、繭だ。繭の中にいるみたい。天蓋のなか、眠ると、そんなことを思った。

引っ越してから、職場まで15分ほどになった。近さゆえ、休憩のたびに帰って泣いたり食べれないごはんを無理やり食べたり、10分ほどしか家にいれなくても、それでも帰っていた。

そして、わたしが病気だと、彼が気がついたのは夏祭りのころ。近所の病院へ行ったが、まともな治療が受けられず、悪くなる一方だった。

そうして仕事にも支障が出て、働けなくなった。休むこともなかなか言い出せず、ミーティングも面談も、何も頭に入らなかった。停止した脳で、上司に、明日から休みます、と言った。迷惑をいろんな人にかけたと思うが、当時は、生きていることだけで、息をするだけで、立っているだけで、精一杯だった。

秋、大好きな仕事を終えて、療養することになった。一ヶ月目は東中野から外にでるだけで過呼吸を起こすくらいだった。電車になんて乗ることもできなかった。常に人の目線が怖くて、幻聴と幻覚を繰り返した。発狂して深夜、家を飛び出して公園に行った。翌日はひどい症状だった。朝7時から自転車で兄の住む街まで行ったりした。朝、とにかく早く目覚めてしまって、蒸しパンをひたすら作った。普通の時間なんて、どこにもなかった。東中野には大きなスーパーが二箇所あって、スーパーへ行くことはすごく楽しかったように思う。あとはブックオフ。歩いて行ける範囲にある幸せだけ握り締めていた。

彼は、どんなことがあっても、笑ってくれた。親友もすぐに飛んできてくれた。妹も。

ヒヤシンスを育てて、IKEAのお気に入りの家具の上に置いたり、陽の光を浴びせたりした。

彼が気に入っていた天蓋は、守られているようなのに、どこか怖くて、取ってもらった。繭の中にいることが、なんとなく、怖かった。

すこしずつ外に出られるようになって、東京の母的な存在の人に会ったり、同じ病気だった人に会ったりした。思い出すだけで、少し息苦しくなる。まったく飲めなかったフルーツティーのこととか、お守りのお茶とか本とか。

二月、大好きな人と、大好きな監督の映画を試写会で見させてもらった。魂ごと掴まれるようだった。心が熱くなって、雨道のなか私たちは燃えていた。

仕事に戻りたい。早いのはわかっている。まだ、休んでいないといけない。でも、でも、今じゃなきゃ、いけない。そう思って復職の準備をした。

四月、仕事に戻るタイミングで、彼からプロポーズを受けた。タイミング。あと、一ヶ月、いや、一週間、早かったら。私はまっすぐに。この人と。

 

「いずみさんは安心毛布にくるまっている必要はない。未来に飛び出して行ける人。」

 

わたしは繭から出て、未来に行くことにした。その未来には、また落ち込むこともうまくいかないことも、あの頃より大変なこともあった。

あれから三年。休んだ期間は二年。ようやく、光の方へ進んでいる。生き生きしてるねっていろんな人から言われるんだよ。会社をやめたよ。あたらしい職場で、君の好きな絵、また展示するよ。偶然会えるかもしれないし、会えないかもしれない。それでいい。君が、今、どこかで幸せならそれでいい。たくさん迷惑も心配もかけて、言葉にならないほどお世話になって、そりゃないよってことをして、後悔やごめんねがまったくないと言ったらうそだけど、私も私の道を、生きて行けそうだよ。

東中野でジャンプした。ねえ見てて、ジャンプするから、って何度も跳ねた。それを見て、君は笑っていた。

繭の中にいたころのこと、大事にされていたこと。忘れないよ、いつまでだって憶えてる。ありがとうなんて言えなくてごめんね。

繭の外に出て、私はまた歩いたり走ったりする。

またね。また会えたら。元気でいようね。好きだった人へ。

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