拠点(新宿)

東京に来て、どこを拠点に生活するか、人々は分かれる。渋谷。池袋。そして新宿。多分大まかにまずこの三つが挙げられると思う。たくさんの路線があって、たくさんの人が集まる場所。その中でも群を抜いて人が多いのが、新宿。人も、ものも、ビルも。何もかもが溢れてて、何もかもがあって、何か本当のものがない。わたしは今ここにいるのに、新宿を行き交う人々にわたしは映っていない。ハローとグッバイが何度もある。わたしたちは出会って、別れて、また、出会う。新宿って、そんな街。

まず、この文章を書き出しているのも、新宿なのである。新宿のビックロはよく出来ていて、ちょっとした休憩室のような場所がある。昨日は東口のスタバにいて、ルミネエストでTシャツを買った。伊勢丹には傘を忘れて、取りに帰る頃にはネックレスまで手にしていた。(これを伊勢丹マジックと言う。)

わたしの生活の拠点は、紛れもなく、新宿だ。

いくら引っ越しをして、一番近い駅が他のところであっても、新宿なのだ。

まず、大学が新宿にあった。有名なビル群の大学は40階まであって、エレベーターを間違えると大変なことになった。地下道でギリギリまで行けるので、雨の日は助かったし、地上を歩くことも全然あって、気分で新宿の街を歩いた。放課後には12階にある、新宿が一望できる場所で、ひたすら刺繍や編み物をしていた。友達ともよく話したし、地下の食堂でもよく話した。学生時代、わたしの街は?と言うテーマで取材を受けたとき、どこも浮かばず、新宿を選んだ。上京して、勉強が何より楽しくて、学校にいることがとても好きだった。

そして、アルバイトをしていた編集部も、新宿にあった。授業が終わったらすぐ向かって、春休みなんかは週5日働いていた。天職だ、と思うほど楽しかった。クリスマスにはリースを30件回って、友人の誕生日会には遅れて行き、学生時代を謳歌していたとは言えないけれど、わたしにとって編集部にいる自分が好きだったし、誰かの役に立てている、それが大好きな雑誌のため、というのも、頑張れる理由だった。今でも、師匠と呼べる人が、変わらずその場所で、頑張っている。

就職して、しばらくは新宿から遠く離れた場所で働いていたが、一年半後には新宿で働いていた。学生時代に遊べ、と教授に言われていたが、ずっと遊ぶよりも映画を見たり図書館にいたり、編集部にいることが遊ぶことと同等に楽しかったのだが、新宿で働いていた時ほど、遊んでいたことはないと思うし、もう二度とあんなに遊ぶことはないと思う。職場では遊ぶように仕事をし、仕事が終われば、文字通り遊びに行った。ゲームセンターでシナモン狩りをした。しすぎて、職場にある写真集にたまたまシナモンが写っていて、やべえこれ見ると行きたくなる、と言われるほど禁断症状も出ていた。たくさんお酒も飲んでごはんも食べた。終電を乗り損ねることだってした。深夜のビルの隙間でダンスをした。遊びすぎて、同じイヤホンが絡まって怒られた。街から街をたくさん歩いた。たくさん話をして、たくさんふざけて、たくさん写真を撮った。そして朝になればまた新宿にいた。

楽しかった日々はもう戻ってこない。今新宿に行っても、あんなに遊ぶように仕事をすることはない。そのあと遊ぶこともない。新宿にある思い出は思い出として、わたしのなかに永遠に残る。

昨日、新宿に行った。五月の暑い日だった。緊急事態宣言が出ているので、あまり遊ぶこともごはんを食べることもないのだけれど、ちょっとした用事があった。

魂の合う女の子たちと会って、話をした。これから何があっても、この街で誰かに出会って、また新しい何かを始めていく。

ハローグッバイ、またいつでもここで。人混みの中で君だけを見つけるよ。

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